旧美山町(現在の福井市美山町)と乾側地区との境になっている飯降山の支脈と、大門山に連なる山の鞍部に花山峠(昭和40年頃までは坂戸峠と呼ばれていた)がある。福井と大野・美濃を結ぶ最重要な幹線道路であったため、昔から大野道/羽生街道/足羽街道、また大野から岐阜への道は美濃道などとも呼ばれていた。天正元年(1573)織田信長に攻められて一乗谷の本拠を退去した朝倉義景主従もこの花山峠を越えた。
峠の頂上には12体の石造地蔵菩薩像が安置されている。中には文化11年(1814年3月)の年号が刻んだ像もあり。地蔵さんの横の水を飲むと乳が出ると言われている。
(※現在は猪等が多く、衛生上飲むことはお勧めできません)
坂戸区出身の現在は東京杉並区荻窪在住の五十嵐太郎氏の設立によるものである。五十嵐氏は東京にあって、以前より人生の無常と人心の荒廃を気にかけ、ただひたすら故郷の人々の幸福を念願して、境内の銀杏の大木に十一面観音の尊像を彫刻し、参詣する多くの人々に、広く佛縁を結び、佛の教に帰することによって人間真実の幸に目覚めることを祈念して、昭和37年4月吉日立木のまま5ケ月間を要して観音像を彫刻した。
夜になってここを通る旅人のために村人が明かりを灯していたと伝えられている。山の登り口に火柱地蔵があり、今も2人の方で管理している。昔、この道を通ると必ず火柱が立つと言われ、今も祀られている。